3/3 甲南大学・学習院大学定期交歓舞台

(文責 幹事長I)

公演レポ

公演名 甲南大学・学習院大学 定期交歓舞台
主催 学習院大学観世会部・甲南大学文化会能楽研究部
会場 銕仙会能楽研修所
時間 10時~17時
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公演の形式

1.時間

 演目の種別が変わる時間が、番組冊子に明記されています。これは、学習院大学観世会部の主催する、他の公演でも共通することです。私どもの会でも、タイムスケジュールは事前に決めておき、遅れのないようにしますが、番組に併記して配布することはございません。

 これは何故の違いなのでしょうか。まず、肝要なのは演目の数です。番組表に明記されている演目は、合同素謡1番、素謡5番、仕舞21番(うち欠番1)、狂言5番です。現今、私どもの会では、おおよそ半分の演目数になります。番組に従えば、午前十時始、十六時二十五分終了ですので、六時間二十五分の公演ですが、2018年に早稲田大学能楽連盟が主催いたしました秋季公演は、十四時始、十七時終了で、三時間の公演でした。但し、この時は素謡1番、仕舞4番、狂言2番、舞囃子4番でしたので、半分どころか四分の一の演目数です。これ程演目数が少ないにも関わらず、時間がかかっているのは、休憩が何度も入るためで、この時には二度ありました。一度の休憩時間は15分、または20分で、演目の流れを区切る時に入れます。

 休憩を入れれば、それだけ公演の時間が延びます。演目数が多ければ、あまり頻繁に休憩をはさむことはできません。しかし、現今、私どもの会で、それほど演目数が多くなることはございませんし、何よりも、できるだけ多くの演目を来場してくださった方にご覧になっていただき、演者も観たいというのが、大きな目的としてございます。観ることで、能楽への向き合い方、能楽の楽しみ方も変わってくるのではないでしょうか。公演を通して、大学に考える場をつくっていきたいのです。かつて、能楽連盟の各会に大勢の会員がおりました時には、朝から夕方まで公演が開かれていたそうです。部室にも、細かい字で演目と名前がびっしりと書き込まれた番組がございます。それ程多くの演目を抱えた場合、私どもはどうするのでしょうか。やはり、私は例え一日では終わらなくとも、休憩をはさみつつ、できるだけ多く、快適に観て考えるための公演をつくっていきたく存じます。

 

2.挨拶

 開演閉演時には代表者が本舞台正中あたりに着座して挨拶をしていました。これは関東観世流学生能楽連盟の公演でも、五交会でもすることですから、至極当たり前のことなのかもしれませんが、能楽連盟主催の秋季公演一年生会、また、古典芸能連盟主催の和楽和宴ではこのようにいたしません。舞台に姿を見せて挨拶をすることはなく、舞台袖でマイクを使ってアナウンスのように、開演5分前のお知らせ、休憩の始まり、再開5分前のお知らせ、閉演のお知らせを申します。演者以外の者が舞台に上がることはないのです。但し、番組をめくる者だけは、演目の合間に客席から舞台脇にある階段を上り降りすることを繰り返します。私自身は、ご挨拶の役をいただいたことが無いので事情はよく分かりません。舞台空間を尊重してのことなのでしょうか。

 それから、閉演後、帰る折には演者の方々が出入り口付近で揃って、来場についてお礼の挨拶をしていました。二校揃って、多人数にも関わらず隔たりなく挨拶をしているのに驚きました。能楽を楽しもうと思う気持ちが浸透していなければできないことだと思います。挨拶は日常のことと思って、深く考えないでいるのは勿体ないことですね。共に楽しむ輩を大事にしていきたいものです。

 

仕舞について

 形付では「見込行」と記されているについて、一つ思うことがございました。学生の素人というのは、曲の位、構成などを参考にすることはあっても、師の教えが第一で、特にお稽古の年数が浅いのですから、会によって、形の特色というものが色濃く現れます。したがって、それぞれの会の公演を見にいくと、形や所作、また曲についての異なる捉え方に触れ、考えることが非常に多くございます。但し、この度思ったのは、その種のことではなかったのです。常にお稽古しているものとの違いということではなく、その会における稽古者それぞれの違いについてのことなのです。

 「見込行」というのは、大まかには、行く方向に向き、両腕を横いっぱいに開く形と表現できると思うのですが、肝要なのは、両腕の開き方なのです。拝見しておりますと、如何にも押し開くように力強く、角を立てるようにして、ガバッと開く場合と、サシた勢いをそのままに柔らかく、風を纏うようにようにして、サラリと開く場合があったのです。この硬さ柔らかさ、というのは、一人でお稽古をしている場合には、なかなか感じづらく、観ていると鮮明に感じられるものと思われますが、形についてその違いを強く感じたのは、今までにないことでした。「竹生島」、「嵐山」など、シテが荒神に分類される場合には、前者の力強いものが適していると思うのですが、「清経」、「経正」など、シテが公達の場合には、サラリと開く方が適しているのかもしれません。形に注目してのことではなく、仕舞全体として、力強く、或いは、サラリと舞う、という意識はあったのですが、あまりに両者の違いを強く感じたために、このようなことを考えたのでしょう。仕舞を何番か習って、同じ形や構成を見つけると、すぐ分類して体系的にお稽古をしようという考えをしがちですが、一度立ち止まって、その形が曲や仕舞の中でどのような要素としてあるのか、ということを考えるべきなのかもしれません。

 

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