3/31 自主公演について

公演レポ

名称 自主公演
関係 能楽サークル修了
演目 能「羽衣」
会場 代々木能舞台(初台駅)
時間 14:00~15:30

 

視覚的側面について

1.舞台の境界

この度、最も強く意識した能楽の側面。それが、舞台における境界のあり方の変動性です。本舞台上に壁の存在しない能舞台に、境界はあり得るのでしょうか。近代の演劇においては、リアリズムを志向するかどうかに関わらず、回転する舞台、比較的若い時期にメイエルホリドの利用した、階層のある舞台など、舞台上の境界は一定でなかったように思われます。今日目にすることのできる能楽の上演においては、それらに類するような境界が現れることは稀です。そうした意味では殆ど、能楽における舞台の境界は一定です。存在しないと言っても良いでしょう。橋掛かりを花道と同一視するなら、それは例外として数えても良いでしょうが、それは見所とは反対側に、視線においては本舞台と並列して延びているために、第四の壁に対して何の侵略性も持ちません。

しかし、これは単に静止した舞台上のことでしかありません。公演の行われている舞台は動いていて、境界もそれにつれて動くのです。舞台上に殆ど役者しか存在しない場においては、境界を静止させるものは役者以外にありません。その静止といっても、相対的なものでしかありません。役者は、その活動を完全に止めて、舞台上に貼り付けられたり、縛り付けられたりしても、第三者による運動の法則から逃れることはできません。有機なのですから。時折、舞台上に引き出される作り物でさえ、有機的な性質を持っています。観客も役者も、それが出現し、留まり、去っていく姿を見ているのです。

代々木能舞台での公演を拝見するのは、今回が初めてのことでした。今まで足を運んだことののない舞台に伺う時、気になるのは如上の第三者的な側面です。調光や音響などの構造的な性格は勿論、いらしている観客の様子、主催者側の行う事務の様子なども見所の印象に大きく影響します。役者の謡や舞に集中していれば、舞台の周辺がどんなものであれ、影響はないのかもしれませんが、それ程集中して拝見することはなかなかできませんし、大抵は公演の始まる前に舞台前へ着座してしまうものです。

筆をとるのが遅くなったため、当時の印象も薄くなってしまいました。ただ、強烈に覚えているのは、春の風物を眺めて天女の日常を想い、一巡する直前、ワキ正にシテがでてきたところで、その半身が陽だまりに映えて見えたことです。語る内容としても、シテを取り巻く状況というのは、状況といってもその瞬間のことではなく、予想される、ほぼ間違いのない将来のことではあるのですが、地に留まるものから天に上るものへと変化しつつあるので、舞台の周辺によって物語れることの豊かさと、それが生み出す境界性、そしてシテに及ぼす影響の面白さに、つい、心を留めてしまったのです。

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